プロフィール

こんにちは!ジョージ小林です。

フリーランスのパーソナルトレーナー&webライターです。

簡単に私の略歴をまとめていきます。

「どんな奴が書いてんねん!」と気になった人は見ていってください。

過去の略歴

  1. 小学校~高校まで野球
  2. 大学ではアメリカンフットボール部に所属
  3. 大学を一年半、留年
  4. 2019年 初のフィジーク大会に出場(予選敗退)
  5. 大学を卒業した2019年10月 都内のパーソナルジムへ就職
  6. 2020年 10月 二度目となるフィジーク大会へ出場(予選敗退)
  7. 2021年1月 パーソナルジムを退職
  8. 地元・名古屋へ帰還
  9. 2021年2月 名古屋の某24時間ジムへ転職
  10. 2021年 10月 3度目となるフィジーク大会へ出場(予選敗退)
  11. 2022年1月 退職
  12. 2022年2月 東京へ出戻り
  13. 2022年9月現在 フリーのパーソナルトレーナー・webライターとして活動中

詳細プロフィール

1995年 愛知県出身です。

愛知県は都会のような顔をしておきながら、特になにもありません。

小学校時代

特に好きではなかったが「とりあえずスポーツをやっておけばいい」みたいなテンションで、

  • 野球
  • サッカー
  • 陸上

を経験する。

どれも普通レベルだったが、わりと楽しめていた。

サッカーの教室に通ったことがあるが、「定規」といじれられて怖くなってしまい辞めたことが今でも頭に残っている。じょーじって名前をいじられたってことね。

アニメのMAJORにドハマりしていた。

吾郎のとてつもない練習量に影響を受け、近くの公園に壁当てしにいっていた。

「誰よりも練習をしている」とか「才能よりも努力だ」みたいなスポ根がいまだに好きなのは、間違いなく本田吾郎改め、茂野吾郎の影響を受けている。

練習しすぎて、靴を履きつぶすペースが早すぎたのはマジ逸話。

わりと平凡でありきたりな小学校時代でしたね。

中学校時代

小学校からのノリで野球部に入る。万年一回戦負けのクソ雑魚野球部だった。

投手を任してもらえるも、えぐいノーコンで試合にならなかった。それでも最後まで1番を背負わせてもらえたのはクソ雑魚野球部だったからに違いない。他にピッチャーおらん。

野球部を引退後、卒業をするまでの数ヶ月関は気が抜けてダラダラした日々を過ごしていた。

家から中学校までの距離は歩いて7分くらいなんだけど、その距離ですら面倒くさいと感じ自転車で通学するくらいダラダラしていた。

自転車通学は禁止されているので、近くの駐車場にコッソリ止めていたのだがある日、その駐車場のそばに警察官が立っていた。

ヤバい雰囲気を感じた私は、塀を飛び越え警察官にバレないように去ろうとしたが、なんと追いかけてきた。

あえなく捕まった私は自転車を止めていることを注意され、夢の自転車通学は幕を閉じた。

わりと楽しめていた、中学校時代だったと思う。

高校時代

高校では、念願の硬式野球部へ入部する。

一応、中学校時代はクソ雑魚チームの投手で四番、というエリートみたいな肩書きを持っていたが、高校野球はレベルが違った。

練習もキツければ、みんな上手い。違う世界へ来てしまった気分だった。

レベルとしては中堅くらいの高校だと思っていたが、一年の夏に甲子園へ出場してしまう。とんだ誤算だった。こんなレベルの高いチームで試合に出るなんて夢のまた夢だった。

一年の夏は応援で千羽鶴を運ばれされたのがしんどかった思い出がある。勝ったチームから託される千羽鶴の数がエグイことなってたからね。

もちろん、高校三年間で試合に出場することはできず、高校野球は幕を閉じた。

引退試合でホームランを打てたのが、人生のピークにならないようこれから頑張っていきたい。

筋トレに出会ったのは、高校一年の頃。

「ベンチプレスやってみい」と先輩に言われ、ビクビクしながらなんとか60㎏くらいを挙げられた。

先輩に強い認定をされ、「あ、おれ、わりと強いんだ。筋トレ楽しいかも」と感じたことが今も筋トレを継続している要因。かもしれない。

大学時代

高校野球で自分の野球の下手さを思い知った私は、大学でアメリカンフットボールを始めた。

ウエイトトレーニングを好きで頑張っていたし、ある程度身体も大きかったので、なんとなくやれる気がしていた。

くわえて、スポーツ推薦で大学へ入学できるので、勉強をせずにわりと良い大学に入れることも大きな魅力だった。

大学へ入学して、寮生活が始まった。先輩はエゲつないほど身体がデカくて威圧感しかなく、高校時代と同じく、ヤバい世界へきてしまった感があった。

最初はルールも分からず、ひたすら痛くて辛い練習に耐える日々。くわえて、体重を増やさなければならないポジションだったので、とにかく食べまくっていた。日に日に増える体重に喜びを感じていた。今とは真逆の生活。羨ましい。

大学二年生になり、ボチボチ試合に出場、アメフトが楽しくなってきた頃に右足首を骨折。2015年6月6日。しっかり骨が折れるエグイ音が聞こえた。

初の手術。痛すぎた。麻酔が切れた後はずっとワニに右足を嚙まれているような感覚。

不思議なことに、松葉杖で学校に行っていた頃は女の子にモテた?ような気がした。

というのも、松葉杖で歩いていると、見ず知らずの女の子から「大丈夫ですか?」と声をかけてもらえるのだ。勘違いかもしれないが、不思議な感じだったね、あれは。

右足の骨折から数か月が経ち、やっと復帰できる所まで来たタイミングで再び地獄が訪れる。

結論、病気にかかったのだ。しかも結構やばめの。

最初は腹痛のみで風邪だと思っていたが、一向に治らないどころか悪化していく。

症状はドンドン悪化して入院。

1ヶ月ほどまともに食べられない日々が続き、97㎏あった体重は72㎏まで落ちた。

リアルに全ての筋肉が持っていかれた。歩くのも困難で腕立て伏せもできない。まさに絶望。あの時ほどしんどい出来事はこの先起きない。起きたとしたら、もうそれはこの世を去るとき。

それほど辛い出来事でも時間が経てば忘れてしまう。人間はよくできた動物。

完全に0からの復帰にはなったが、その年の終わりには試合に出場できるレベルまでには回復。

マッスルメモリーってホントにあるんだよね。復帰した頃はバーできつかったけど、3ヶ月後にはベンチプレス100㎏挙がってたから。筋肉はやらないといなくなるけど消えはしない。あなたの意志があれば再び寄り添ってくれる。

大学四年時には主将を任せてもらい、結果を残すことはできなかったけれど、とても有意義な四年間を過ごすことができた。

アメフトの練習でガンガン筋トレをしていたこともあり、筋トレにハマった。引退後も筋トレを継続し、筋トレを仕事に変換したときに最初に思い浮かんだパーソナルトレーナーになることを決めた。

社会人時代

同じ場所に居続けるのは面白くないってことで、東京へ就職を決めた。

就職する一週間前ほどに初めてのフィジーク大会へ出場。


根拠のない自信で優勝する気満々で臨んだが、結果はダントツの最下位。結果に関係なく、ボディメイクの大会に出場する楽しさを感じることができた貴重な体験となった。

その後は、本格的に社会人としての仕事が始まった。

初めてのパーソナルトレーナーとしてのお仕事。東京という新たな場所で出会う人から受ける新鮮な刺激。大変だったけれど、今思えば楽しく、充実した毎日を送れていたと思う。

トレーニングの内容にはこだわりが深いオーナーだったので、筋トレのやり方や指導の仕方についてはかなり深く教えてもらえたと思う。ここで教わったことが今の自分のトレーニングのベースになっているし、トレーニングがうまくなった実感がある。感謝。

ただ、社会人として仕事をしていく中で謎のストレスや不満が溜まっていたのは事実。

自分でお金を生み出せる人間、人に言われてやるのではなく自分主体で仕事をして生きていく道があるのでは?と考えていた。

そんな考えをするようになったのは、マナブさんやイケハヤさんとかのビジネスユーチューバーの影響。こんなんばっか見てた。

くわえて、パーソナルジムで知り合うお客様が変わった人というか、自分と違う生き方や感性を持ち合わせた方ばかりだったので、知らぬ間に影響を受けていたと思う。

東京のパーソナルジムに来る人は金銭的に余裕のある人が多く、仕事で成功を収めている人が多くいた。そんな人たちの話や考え方は新鮮そのものでしかなかった。

くわえて、一人暮らしをしていると良くも悪くもいろいろ考えさせられる。

とはいっても考えてばかりいてもしょうがないと始めたのが、YouTube。

今見ると鳥肌もんだけど、こいつの言いたいことはなんとなくわかるし、現時点でより思考は深まっている。このときと比べて生き方が良くなっているか?と聞かれればそんなことはないが、確実に進歩はしている。と思いたい。

2020年 10月 二度目のフィジーク大会へ出場。


仕事をしながら行う減量のキツさを実感。キレ食いをして自己嫌悪に陥る、ストレス溜まりまくりの減量をした結果は予選敗退。それでも大会はやっぱり楽しい。

その後は結局、会社を辞めるわけなんだけど。会社に不満があったというよりは「なんか他に道があるんじゃないの?」と考えて辞めた。ここの会社での経験はいいものになったし、最初に就職した会社がここで良かったと思う。

とはいっても、結局どこかに再就職をして食べていく必要があるため、地元名古屋に帰還し、知り合いの24時間ジムに就職をした。

再就職先での仕事は、あまり大きくない店舗の運営を基本的に一人で任せてもらえることだった。

人と一緒に働くのは楽しいし、やりがいはあるけど、私は一人で働くのが好きなのかもしれない。
責任を負うことになるし、やることも増えるがそれでも良いと感じるくらいに一人でやる充実感を感じていた。

数か月経ち、地元名古屋で働く毎日。小さい頃から居続けた土地と職場を往復する毎日に嫌気が差してくる。再び東京へ戻ることを決意。

2021年 10月 3度目のフィジーク大会へ出場 予選敗退

社会人3年目

就職先を決めず、とりあえず東京へ引っ越して生活を始めた。

名古屋にいる間に貯めた貯金と、webライターで食い繋いでいく毎日。

webライターを初めていなかったら、こんな攻めた決断もできなかったと思うから、なんでもやってみるのは大事。


そんなこんなで現在に至るわけだ。

自分の経歴をまとめてみて感じるのは「写真を撮っておくことの重要性」

写真は過去を瞬時に思い出せる唯一の手段となる。簡易的なタイムマシン。

何気ない写真一枚でも、そのときになにを考えていたか、なにをしていたか、思い出せるから大したもん。

マジで写真は撮っておいて損はない。YouTubeも同じ。伸びる伸びないは別にして、過去を映像として思い出に残せる手段になるし、それを多くの人に見てもらって感想やいいね!をもらえるなんて感無量。

当ブログもそんな感じで更新していきたいと思う。

ブログのコンセプト

大好きな筋トレの魅力を発信し、多くの人に筋トレの魅力を伝えていきたい。

  • 友達少ない
  • ハマれる趣味なし
  • 遊びもそこまで好きじゃない

こんな私は、筋トレに出会っていなかったら今頃どんな人生を歩んでいたか想像もつかない。

筋トレに出会ったからこそ、毎日をそれなりに楽しくエネルギーを出して生きていくことができている。

現在、筋トレをやっている人はもちろん、まだ筋トレをやったことがない人や筋トレを始めようと思っている方に筋トレの魅力を届けていきたい。

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